『NON-STOPPER』の初発売は1986年12月16日。本図で採用する版は、2010年3月24日発売のSHM-CD、VICL-70056であり、本編十曲の後にカラオケ十曲が加わる。この区別はアルバムの形を考える上で欠かせない。再発盤は二通りの関連する接し方を与えるが、原アルバムを二十曲の新しい作品へ変えるわけではない。目録の項目数を足すだけでは、こうした違いを見失う。何が一つの位置を占め、なぜ加えられ、後の版がすでにある曲順の周囲にどんな注意を可能にするのか。その問いによって、収録数は初めて聴く歴史の情報になる。
冒頭の「ダンシング・ヒーロー」はModern Version、三曲目の「フラミンゴ in パラダイス」はDance Mixと明記され、その間に「Dance Beatは夜明けまで」が置かれる。音を比較する前から、変化がアルバムの身分に書き込まれている。これは抽象的なヒット曲名の一覧ではなく、指定された形で提示される親しい材料である。認識できることが聴き手を引き寄せる一方、ヴァージョン名は、その認識を調整する必要があるかもしれないと告げる。既知のものに基づきながら、同じままの記憶を要求しない。その張り合いを、アルバムの招待の一部として読める。
ダンスをめぐるプログラムは、すべての曲が同じ出自を持つことを条件にしない。重要なのは、異なる材料を持続する関係へ置く仕事である。曲順を、次の客を迎えるための場を用意する行為にたとえることもできる。一つの選択が次の選択のために、感情や参加の余地を整えるという意味だ。もちろん、これは編集上の比喩であり、記録されたパーティーでも、技術的なノンストップ・ミックスの確認でもない。題名は進み続ける期待を作るが、題名だけで曲間の処理は証明できない。材料が変わっても参加し続けたいと感じさせる仕組みこそ、問う価値がある。
荻野目洋子が中心にいることは、その誘いに人の形を与える。彼女の名前は、各曲の作家や編曲者を消すものではない。プログラムが誰を通して一つのものとして認められるかを示すのである。そのため、選曲盤にも似た豊富さは、必ずしも芸術的な散漫さを意味しない。単一の作曲上の起点がなくても、歌い手は認識できる伝え方によって材料を結ぶことができる。こう考えると、出自が純粋かどうかという試験から、違いをどう調整するかという考察へ視点が移る。ポップスの個性は、差異を除くことでなく、差異を扱う過程から現れる場合がある。
採用版の後半を占めるカラオケについて、Victorは『NON-STOPPER Off Vocal Special』由来と説明している。ここには注意を反転する機会がある。通常は主役の歌声が占める場所を、聴き手の観察や参加の余地として考えることができるからだ。ただし、主唱を除いた音が曲の唯一の真相なのではなく、残った録音が中立になるわけでもない。見えてくるのは、特定の歌唱とその周囲の材料の関係である。歌入りのアルバムとオフ・ヴォーカルは互いを照らせるが、それぞれ異なる録音として扱うべきであり、整理を簡単にするために同一視してはいけない。
独立媒体CDJournalは再発盤の形式と曲順を記録し、ラジオ日本の番組記録には、2017年に原アルバムの両面を紹介した選曲が残る。二つの資料が示すものは異なる。前者は版の説明であり、後者は後年の一回のプログラミングである。どちらも普遍的な受容や音質の優劣を証明しない。控えめにいえるのは、『NON-STOPPER』が歴史的な対象であると同時に、再訪できる曲順でもあることだ。その面白さは、招待の精度にある。親しい曲、明記された版、認識できる歌い手が連続を作りながら、すべての違いを消してしまうことを求めないのである。
続くという感覚は、同じであり続けることとは異なる。曲が替わり、題名が替わり、聴き手の記憶の引き出しが替わっても、参加の意志は保たれうる。そこでアルバムのまとまりを、均一な材料の集合ではなく、違いを渡る手順として考えられる。何を知っている人にも、何をまだ知らない人にも、次の位置が用意されている。これはすべての聴き手の反応を断定する説明ではないが、選曲の豊かさを散漫さだけで評価しないための視点になる。止まらないものを、変わらないものと取り違えない読みである。