「トロピカル」は場所を指し、「ダンディー」はまず身のこなしを指す。細野晴臣は『Tropical Dandy』という名で二つを合わせ、地理に仕立てのよい上着を着せる。1975年6月25日発表の本作は「チャタヌガ・チュー・チュー」で始まり、「絹街道」「北京ダック」「漂流記」へ進む。汽車、道、食べ物、漂流。それは実用的な旅行案内にはならない。異なる経験を同じ机へ置き、世界を一つの土地の色へ縮めずに並べ替える、レコードならではの提案になる。
この配置は「異国的」という語にも問いを返す。誰にとって珍しく、誰が眺め、誰が名前をつけるのか。英語と日本語の題名が隣り合えば、単一の視点を当然とはしにくい。本作を、遠い名詞と細野がその間に設ける距離による、想像上の輸送として読める。乗り物と料理が一緒に音楽の語彙へ入り、大きな旅には日常と可笑しみの寸法が加わる。画面の中央に立つのは、厳粛な探検者だけでなくてもよい。
「ハニー・ムーン」と「三時の子守唄」は、尺度を親密さや休息へ戻す。後者には当初のプログラムの中に器楽版もあり、同じ材料が別の現れ方をする。旅は外へ広がり続ける必要がない。部屋、時刻、人の体へ戻る方向も持てる。出発と滞在、歌われる曲と声のない版が、一枚の中にそれぞれ場所を確保する。どちらかがもう片方を取り消すのではなく、異なる動きが想像の空間を構成するのである。
いまのシティポップの地図では、本作を後の「完成した」様式へ向かう矢印にしやすい。しかし矢印は急ぎすぎて、道の脇の面白さを見落とす。立ち止まりたいのは、細野が分類の権威を少し緩めるところだ。場所は題名になり、身のこなしは気候になり、漂流者も身なりを整えられる。後続の音楽すべてに、単一の起源を用意する義務はない。本作はそれ自体が完成した好奇心だ。地図をレコード・ジャケットへ入る大きさに折りながら、折り目の外の世界も残している。