「IF YOU WANT ME」は、河合奈保子『DAYDREAM COAST』の一曲目である。日本語の副題は「はっきりさせて」。歌詞を引用しなくても、二つの題名の間には小さなドラマがある。一方は条件を示したところで止まり、もう一方は何かを明確にするよう求める。本稿が読むのはこの題名の提示であって、歌の筋書きを新しく作ることではない。アルバムの入口として考えれば、夢の海岸にも答えを必要とする人がいると示唆する組み合わせだ。旅行や洗練された外観によって、気持ちを伝える難しさが消えるわけではない。
作り手の関係も明確にしておきたい。再発のクレジットでは、Erich BullingとTony Haynesが原詩・作曲、竜真知子が訳詩、David Fosterが編曲を担当する。互換可能な有名人の列ではなく、それぞれ別の仕事である。作品が言語を渡るには、言葉が音楽の動きへどう収まるかを決めなければならない。編曲はさらに、どう提示するかという選択の場をつくる。そして河合が、これらの層を一緒に聴き手へ届ける存在になる。録音の個性は、一人がすべてを発明しなければ生まれないものではない。異なる貢献が、演奏の中で同じ方向を持つところに成立する。
題名の文法は、ポップ・ソングの誘い方にも変化を与える。宣言なら、返事の前から完結して聞こえるかもしれない。条件文には、相手が入るための空所が残る。この未完性は、アルバムの冒頭で役立つ。閉じた感情世界を宣言する代わりに、続きを待つ態度をつくるからだ。日本語の副題は、英語の短句の開かれた部分へ圧力をかけ、二つが会話の別々の段階のように見える。これは提示の読み方であり、本人の内心についての断言ではない。雰囲気という便利な言葉へまとめる前に、呼びかけの構造へ注意を向けられる点に意味がある。
嶋護はMikikiのSACD評で、冒頭曲を華やかなアップテンポの曲として扱い、重なりが増えても空間の輪郭が失われない録音について論じている。その記述は後年のSACDを対象にしており、ここで選んだCDを新たに試聴した感想へ置き換えてはいけない。しかし、豊かさはいかにして明瞭であり得るかという問いを与えてくれる。ポップの洗練は、直接的な楽しさを取り除くことでなくてもよい。同時に存在する要素へ伝わる場所を与え、親しみやすい表面と複雑な構成が、注意を奪い合わず支え合うことでもあり得る。
フォスターの編曲は、範囲を正確にするほど意味を持つ。次の「SECOND NATURE」も彼の担当だが、アルバムの別の箇所ではほかの編曲者が仕事を引き継ぐ。冒頭曲を入口と捉えれば、それに全曲の要約を求めずに済む。入口には独自の役割がある。尺度を設け、ある注意の向け方へ誘い、次の部屋にも進んでみたくすることだ。最初の二曲は、大きなプログラムの中の特定の共同作業として認められる。そうするとアルバムは、一人の制作権限の連続的な展示ではなく、関係が連なっていくものになる。
この曲には、スタジオの外へ続く演奏史もある。コロムビアは『SUMMER SPECIAL in EAST ’84』の曲目で、「IF YOU WANT ME」を旧作メドレーに先立つ二曲目に置いている。その確認可能な位置だけでも、海外録音のアルバム曲がアイドルとしての持ち歌から孤立していたという見方は複雑になる。観客が以前から知っていた曲の隣に置くことができたのである。順番は、新しいものと記憶されたものの間に橋を架け、片方で片方を消すことを求めない。レパートリーは年代順の棚ではない。舞台では、異なる時期の作品同士が対話するよう並べ直せる。
現在、この録音は複数の日付を持つ物を通って聴き手へ届く。原アルバムは1984年、ここで採るCDは2019年、確認した配信表示は1996年である。何の日付なのかを示せば、互いの矛盾にはならない。それぞれ別の流通の出来事を表しているからだ。この長い履歴は、目の前の呼びかけに思えるものをさらに興味深くする。今まさに返事を求めるような短句が、初発売から数十年後、別の国、新たな画面で出会われる。録音されたポップは、周囲の経路が変化し続けても、その現在形を保存することに長けている。
本アトラスで「IF YOU WANT ME」を入口にする理由は、大きな国際的交換の仕組みを、個人的な呼びかけの尺度へ戻せるからだ。確認できる協力者、訳詩、曲順の位置が具体的なつながりを与え、河合の全曲を一つのジャンルに入れる必要はない。批評の面白さは、条件文を開いたままにすることにある。出来合いの夕景を飾る曲として扱うより、その誘いがどう組み立てられ、誰へ向かうのかを問いたい。海岸はそこで、想像としては広く、返答を必要とする点ではきわめて具体的な、人間関係の場所になる。