『FLAPPER』のクレジットを見ていると、その上にある吉田美奈子の名前を忘れそうになる。1976年3月発表、村井邦彦プロデュースの本作には、作家として矢野顕子、細野晴臣、大滝詠一、山下達郎らが名を連ねる。紹介文が人名の連続になるのも無理はない。パーティーで知っている来客ばかり見つけて、誰の家に来たのかを忘れるようなものだ。ここで面白いのは、多くの個性的な作り手が集まっても、歌手がどう中心であり続けるかという問いである。
「夢で逢えたら」は一つの入口だが、曲目には「ケッペキにいさん」「ラムはお好き?」という、違う表情の題名も並ぶ。夢の中の出会い、人への呼びかけ、飲み物を含む問いかけ。それらは同じ厳粛な顔をしていない。吉田の名前によって、別々の住所が一つの封筒へ収まる。歌い手の作者性は、自作曲の数だけで測らなくてもよい。異なる曲を受け止め、同じ作品の中で出会わせることも、その作品の形を決める働きになる。
それは協働者を背景へ追いやることではない。一人ずつの名前の先に別の仕事が広がるからこそ、本作は孤立した記念碑より交差点に似ている。矢野、細野、大滝、山下をたどれば、それぞれ違う道が続く。しかし『FLAPPER』を、その著名人たちの領地へ分割する必要はない。部分が来歴を保ちながら、全体には貢献度の割合で切り分けられない輪郭が生まれる。協働の面白さは、そういうところにある。
だから本作には「豪華メンバー」という言葉より、もう少し時間をかけた賛辞が似合う。豪華さは招待状の情報であり、レコードは招かれたもの同士を関係させなくてはならない。夢、冗談、疑問、回想が一つのプログラムに入り、いくつもの表情が同居する。シティポップの人脈をたどる人にも、よい注意書きとなる。線の数は誰が来たかを教えるが、誰が部屋を部屋にしているかまでは決めない。扉には吉田美奈子とある。名簿が長くなるほど、そこへ目を戻したい。