ポップスは、成功が時間どおりに来る物語を好む。新曲が出て、チャートが応え、年表が先へ進む。しかし織田哲郎と「Midnight Pretenders」の関係は、もっと曲がりくねった暦を示す。亜蘭知子が作詞し、織田が作曲、西村麻聡が編曲したこの曲は、一九八三年の『浮遊空間』に収録された。二〇二二年にはThe Weekndの「Out of Time」でサンプリングされた。古い作品は最初の宣伝期間とともに静かに退場せず、別の歌の内部から再び姿を現したのである。
織田は公式ブログでこの出来事を取り上げ、自分が親しんだソウルのバラードにも触れている。興味深いのは、証言の向きだ。後世の聴き手が作者に予言をさせるのではなく、作曲者自身が旋律を考えるための道筋を差し出す。同じ一九八三年、織田は『VOICES』でソロ・アルバムの活動も始めた。二つの仕事を並べると、自分で歌うための創作と、他人の声へ託す創作を行う音楽家が立体的に見える。その二本の道が、同じ長さの公的な寿命を持つとは限らない。
サンプリングが面白いのは、古いレコードを店頭に戻すこととは違うからだ。すでに録音された音が新しい構造へ入り、過去を保ちながら現在を得る。後の曲から先に知り、亜蘭へさかのぼる人もいるだろう。それは歴史の順序を間違えたのではなく、録音が何度でも流通できる結果である。最初の発売年だけで音楽の地図を描くと、この逆方向の交通を見落とす。終点のように見えた場所が入口になり、源流が最後の到着地になることもある。
だから織田を、ようやく価値が証明された人として描く必要はない。作品の価値は海外のスターによる承認を待つものではなく、後から集まった注目も当初の分担を変えない。心を動かすのは、作者が予定できなかった時刻に、創作が公共の場へ戻ってくる可能性だ。古典とは、動かない記念碑ばかりではない。届くのに時間がかかり、しかも宛先を次々と変えてゆく手紙でもある。別の歌手の声から出発した織田の旋律は、別の年代を経由して、違う形の反響を連れて戻ってきた。