流行歌は誰かの声として記憶され、その言葉を書いた人は小さな文字の中に残りがちだ。三浦徳子の名前は、その習慣をそっと裏返してみる理由になる。松原みきの「真夜中のドア/Stay With Me」は三浦の作詞で、作曲は林哲司。どんな経路でこの録音に出会っても、最初に目に入るのはたいてい歌手である。作詞の署名を視界に戻すのは、歌い手の輝きを奪うためではない。個人的な語りかけに感じられるものも、共同作業によって成立することを知るためだ。
三浦の仕事を別の方向へたどると、松田聖子に行き着く。ソニーが二〇二四年に発売した作品集には、「裸足の季節」「青い珊瑚礁」など、三浦が聖子に書いた三十曲が収められた。曲名を勲章のように並べる必要はない。二人の歌手を並べるだけで、シティポップとアイドルのレコードを隔てる想像上の壁が少し動く。聴き手はジャンルで棚を整理するが、作者が向き合うのは、言葉がある声を通してどう人々に記憶されるか、という具体的な問題である。
だから歌の中の「私」は、複雑な仕事の成果でもある。一人の女性が書き、別の女性が歌う。二人が説得力を与えても、それがどちらかの自伝になるとは限らない。昔のレコードを聴き直すとき、この区別は大切だ。懐かしさは、ときに実生活へ近づく近道のふりをする。古いジャケットの向こうなら何でも想像してよい、ということではない。三浦の仕事上の位置は、書き手を認め、歌い手に耳を向け、役柄と実在の人物を一枚の写真に重ねすぎない読み方を教える。
作詞家を軸に曲を並べると、なじみの声が思いがけず隣人になる。すべての歌が同じ感情を持つと断言したり、作者の統一的な宣言を作ったりする必要はない。つながりそのものが面白いからだ。シティポップには、写真に撮れる街角だけでなく、ジャケットには収まりきらない言葉の労働も含まれている。三浦徳子の名前を読み直すことは、その層を見えるようにする。好きな歌から歌手を一人減らすのではなく、記憶の中に作者をもう一人迎える行為なのである。