連絡先に顔写真が並ぶ画面では、電話番号は名前の背後で働く設備のようなものだ。数字を意識しなくても、相手を選んで発信できる。大橋純子の「テレフォン・ナンバー」という題名は、その裏方をもう一度表へ出す。事務的なほど具体的なのに、名前より私的な願いを預かることもある数字。正しく接続するための技術と、接続しても分からない人間の反応が、そこで向き合う。番号が保証するのは回線への道であって、相手が応じてくれることではない。一度の発信が、正確さと予測できなさを同じ動作の中へ置いてしまうのだ。
曲は一九八一年のアルバム『TEA FOR TEARS』に収められている。ユニバーサルの二〇〇九年再発盤の商品ページは原作の年を記し、五曲目にこの曲を載せる。作詞の三浦徳子、作曲の佐藤健、編曲の萩田光雄という分担も、商品クレジットで確認できる。再発の日付と元のアルバムの年を分けるのは細かすぎる作業ではない。配信の棚が一つの日付を要求しても、録音の生涯には幾種類もの時間がある。出会い直す機会が生まれることと、作品が初めて生まれることは別なのだ。
電話番号は、記憶を収納する一つの形式でもある。装置に覚えてもらうことはできても、人を知っているという感覚まで委託することはできない。数字を同じ順序で繰り返せることは、会話をまったく同じものとして繰り返せないことを、かえって鮮明にする。レコードにも似た性質がある。再生の操作は同じでも、聴く側の状態は前回と同じではない。昔の電話が今の電話よりロマンティックだと決める必要はない。ありふれた道具が、機能の説明を超える期待を引き受ける。その余剰に目を向ければいい。
だから大橋の曲を、古い通信機器の展示室に似合う音楽へと縮めたくはない。歌い手は特定の機械の世代を代表する必要がなく、曲も懐かしさだけで価値を保つわけではない。続いているのは、連絡できることと、相手に届くこととの隔たりである。番号もユーザー名も顔写真も便利さを約束するが、ためらいまでは取り除けない。古い題名は新しい画面でも、十分に働く問いを持っている。一覧の中に保存された可能性が、本当のつながりになるには何が必要なのか。その問いは、簡単な操作の後にも残る。