「I Can’t Wait」という題名は、小さな時間の劇を含んでいる。今と、これから来るものとの距離を早く閉じたいと告げる一方で、歌は展開するあいだ、その距離を開いたままにする。佐藤博が作曲し、Lorraine Featherが作詞した本作は『Awakening』に収められた。歌詞を引用しなくても、題名自体の緊張に気づくことはできる。待てないと名乗る音楽も、持続を必要とするからだ。曲が聴き手に求めるのは、題名がもう残っていないと宣言するもの、つまり、もう少しの時間なのである。
この緊張は、録音された歌の技術へ入るための手掛かりになる。演奏の中で今起こっているように感じられる感情と、その録音を作るために必要だった制作時間は、異なる時計に属している。最終的な聴き手には即座に届く表現も、反復された判断を通じて組み立てられた可能性がある。その可能性を認めても、感情が偽物になるわけではない。何度も書き直した手紙が切実なことを伝えられるように、録音も忍耐強く作られながら、相手へ向かう直接性を保ちうる。構築と誠実さは、互いを排除する分類ではない。
作者のクレジットは、この問題を具体的にする。音楽と編曲は佐藤、言葉はFeatherに帰属する。これは完成した旋律へ飾りの文章を貼るというだけの関係ではなく、異なる形の作業が出会うことだ。言葉は楽句に社会的な身振りを与える。誰かが誰かへ語っているような場所が生まれる。音楽はそこにタイミング、長さの配分、戻ってくる機会を与える。二人の間で実際にどんな会話があったかを創作しなくても、署名が記録する共同作業は認識できる。それぞれの名前は、表現のすべてを演奏者の私生活へ回収させないためにも重要なのである。
ソニーが復元した十曲の本編では、「I Can’t Wait」は七曲目に置かれ、「From Me to You」と「It Isn’t Easy」の間にある。隣り合う題名から、呼び掛け、期待、困難という移動を読むこともできる。ただし、それは聴き手が発見できる関係であって、作者が隠れた物語を設計した証明ではない。この区別を残すことが、解釈を狭めずに済む方法になる。曲順は、個々の歌が単独では持たない関係を作る。プレイリストでは自足して見える題名も、アルバムへ戻れば、別の部屋を経由する通路としての尺度を持ち始める。
二〇一四年の特別盤は、二枚目にOff Vocal版も収めている。これは関連する素材の別の提示であり、新たに発見された別作品というわけではない。その存在は、聴く方法についての問いを可能にする。言葉を最も明確に運ぶ部分がないとき、注意はどこへ向かうのだろう。普段は歌に付き添うものと思われる部分が、前景へ出る可能性がある。どちらの版が本物かを順位づける必要はない。異なる配置は、それぞれ別の注意の配り方を求める。伴奏という言葉も、そのとき、単に受け身で支えるだけの仕事ではなくなる。
だから、この曲を正確に整理することは、批評と無関係な事務処理ではない。楽曲の項目は歌入りとOff Vocalの録音を結び付けながら、それぞれの差を残すことができる。配信項目はもう一つの入口にはなるが、そこで使われるマスターと特定のCDの同一性まで証明するものではない。こうした区別は、よく知った題名を選べば常に同じ歴史的対象が出てくる、という誤った確信から聴き手を守る。どの曲を話しているのかは分かりながら、どの録音に出会っているのかは改めて問う。その二つは両立する。
題名の急ぎ足と、このような丁寧な区別を重ねると、「I Can’t Wait」はさらに示唆的になる。ポップ・ソングは、複雑な関係を短く覚えやすい呼び掛けへ圧縮することがある。関係を解きほぐしても、呼び掛けの魅力が壊れるとは限らない。むしろ、その中にどれほどの仕事が収まっているかが見えてくる。作曲、作詞、曲順、別バージョンは、期待という感覚にいくつもの枠を与える。簡潔な感情の提案としての歌は残り、その周囲の記録は、もう少しとどまるよう促す。待てないという歌が、聴き手へ立ち止まる理由を与えるのである。