録音スタジオは、ガラスで分かれた二つの部屋として想像されることが多い。一方で演奏家が音楽を作り、もう一方で技術者がそれを記録する。佐藤博の経歴を読むと、その整然とした図は維持しにくくなる。ソニーの公式紹介には、歌手、ピアニスト、鍵盤奏者、作曲家、編曲家に加え、録音、ミックス、マスタリング、プロデュースの仕事が並ぶ。これは名前の下に積み上げる肩書の数ではない。最初の音の形から、最終的に聴き手へ届く音の配分まで、異なる場所で判断を行う仕事の広がりを示している。
ここから考えたいのは、手が鍵盤を離れたところで音楽上の選択が終わるわけではない、ということだ。録音の空間に一つの音をどう置くかは、次の音符をどこへ進めるかと同じように意図を伝えうる。もちろん、技術者の仕事をすべて作曲と言い換えたり、一人が全工程を支配すべきだと主張したりする必要はない。佐藤の職業上の語彙は、作者性を関連する複数の判断として考える入口になる。調整室は演奏後の後処理だけを行う場所ではなく、注意深く使い方を学ぶ必要のある、広い意味での楽器でもある。
一九七六年のソロ・アルバム『Super Market』は、確かな時間の目印になる。ただし、最初のアルバムが一人の人間の始まりであるわけではない。デビューは、活動がある形式で公の場へ出る境界であり、その手前にも、ジャケットには収まらない仕事がありうる。その後に知られる電子的な制作を基準に、初期作品を未完成な下書きとして扱うのも適切ではないだろう。変化を面白くするのは、すべての段階が有名な到達点へ近づいていたという説明ではなく、各段階が別の問いを持っていた可能性なのである。
公式の紹介は、一九七九年の渡米、ロサンゼルスを拠点とした活動、そして一九八二年の帰国を記している。この移動を、カリフォルニアの空気を持ち帰ったという一言で片づけることは簡単だ。しかし場所にあるのは、具体的な人、仕事の習慣、利用できる道具であって、訪問者へそのまま注がれる完成済みの音楽的個性ではない。移動する音楽家は、出会ったものを選び、変形し、以前からの方法と接続する。旅を絵葉書の背景としてではなく、制作条件の変化として読むとき、創作者の能動的な判断が見えてくる。
共演の名前についても、同じ慎重さが必要になる。公式経歴には細野晴臣、吉田美奈子、大瀧詠一、山下達郎らとのセッション・ワークが記されている。よく知られた名前は入口として役立つが、他人の価値を保証する認定証にしてしまうべきではない。重要なのは誰に近かったかだけではなく、何の仕事をしたかである。そのように考えれば、人間関係の地図に固定された中心はなくなる。誰の作品、誰の編曲、誰の音、誰の判断を知りたいのかによって、見取り図の重心は変わる。参加者もまた、作品の成立に必要な条件を作っている。
池田典代の「Dream in the Street」は、その具体例として読める。発売元の曲別説明では、佐藤が鍵盤を担当し、作曲と編曲は山下、作詞は池田とされている。この役割の分配自体が、録音の成り立ちについての小さな授業になる。完成した音楽には複数の作者性が含まれるが、それらは交換可能ではない。鍵盤奏者の重要性を認めるために、その人を作曲者へ格上げする必要はないし、作曲家へ注目するために作詞家を消す必要もない。それぞれの仕事が区別されたまま出会うところに、共同制作の豊かさがある。
シティ・ポップの地図にとって佐藤が重要なのは、地図が必要とする区分を本人の仕事が横断してしまうからだ。アーティスト、演奏家、技術者、作家という分類は便利だが、どれか一つでは経歴を説明できない。その横断を記録する目的は、万能の天才という神話を作ることではない。洗練された録音を支える労働へ、聴き手の好奇心を向けることにある。音の空間、曲順、他者との関係について重ねられる決定は、学び直し、修正できる人間の実践である。佐藤の仕事は、その実践の尺度を取り戻し、芸術と工芸を隔てるガラスの扉を開いたままにしてくれる。