『CHEF’S SPECIAL』という題名は、店の黒板に書かれた今日のおすすめを思わせる。須藤薫が一九八〇年に発表した最初のアルバムは、もともと十曲からなる。レコードを一度の食事にたとえるのは、題名から始まる遊びであって、制作意図を断定するものではない。その遊びは、いちばん有名な一皿だけでなく、組み合わせや順序、席を立ったあとに残る全体の記憶へ注意を向ける。よいアルバムには、個別に値段をつけられない部分がある。一曲ずつ持ち帰ることはできても、続けて聴けば、前の甘さと後の苦さが互いの重みを少しずつ変えていく。
ソニーの再発紹介は、この作品と六〇年代のアメリカン・ポップスとのつながりを示している。その来歴を考えると、一九八〇年の新しい表面だけでできた一枚、と単純に捉えることはできない。ポップスは同時にいくつかの年齢を持てる。発売日はある時代に属し、形式の記憶はもっと前へ延び、そこに聴き手の現在が加わる。新鮮であるために、過去の跡をすべて消す必要はない。古い材料の関係を組み直すことで生まれる新しさもある。これは懐旧の展示室というより、いまも使われている食器に近いかもしれない。手になじんだ曲線の中へ、今日の感情が盛られている。
曲順は「FOOLISH(渚のポストマン)」で始まり、「SUMMER DREAM」で終わる。その間には「LOVE AGAIN」や「HELLO SADNESS」といった題名も置かれている。文字を読むだけでも、楽しさが単調さと同じではないことがわかる。恋はもう一度やって来てもよく、悲しみには挨拶してもよい。英語と日本語が曲目表を行き来し、複数の表現習慣のあいだを移動する軽やかさも感じられる。これは歌詞の要約ではなく、題名の配置を読む試みである。一つのムードへまとめられる前に、このアルバムはすでにいくつもの感情の入口を開いている。どこから近づくかを、聴くたびに変えることもできる。
五曲目には、大瀧詠一が作詞・作曲した「あなただけ I LOVE YOU」がある。彼の作品から入ってきた人なら、ここを目的地として、ほかの曲を途中の景色にしてしまいそうになる。重要なつながりであることは確かだが、つながりが一枚の主人の名前を変えるわけではない。五曲目を、その前の四曲と後ろの五曲の間へ戻すと、須藤薫のアルバムが異なる作者を受け止める大きさも見えてくる。よく知る署名は新しい入口を増やすためにあるのであって、ほかの扉を閉じる理由にはならない。作品同士の親しさを認めながら、それぞれの場所で少し長く過ごしてみたい。
配信では、好きな一曲だけをいつでも取り出せる。その自由が間違いだという話ではない。十曲という最初の大きさに戻ることは、別の注意の向け方を提案するだけだ。次の選択を少し先へ延ばし、次の一皿をアルバムに任せる。一九八〇年の住人を演じる必要も、古い機器を感情の通行証にする必要もない。現在の耳を持って席に着き、来歴のある形式が再び新しくなるのを待てばよい。すると軽やかな題名にも、一つの切実な意味が生まれる。ポップスの心配りは代表作を差し出すことだけではなく、いっしょに過ごす時間を、最後まで経験する価値のあるものにすることなのだ。