『FIRST LIGHT』は、一九八一年に松下誠のソロ・アルバムの歩みを始めた作品だ。題名が最初の光を指す一方、元の九曲構成の末尾には「Sunset」がある。この両端から、一日が形を取るように読むことはできる。ただし、「できる」という留保は残したい。呼応する題名は解釈の入口にはなるが、作者が夜明けから日没までの連続した物語を定めた証拠ではない。アルバムは、一曲ずつを時計の目盛りにしなくても時間の形を持てる。その伸び縮みの自由が魅力にもなる。
曲の長さは、その線をさらに曲げる。公式の配信リストでは「Resort For Blue」は一分あまり、「I Know…」は二分未満で、「Sunset」は八分を超える。短い曲を不足と呼ぶ必要はなく、長い曲が自動的に重要になるわけでもない。それぞれは注意力に違う仕事を与えうる。短い部分は進む速度を変え、長い部分は次の題名を急いで探さずにいる時間を与える。一枚の構成は、同じ大きさの容器を棚に並べることとは異なる。時間は場所によって広がったり、細くなったりしてよいのだ。
ギタリスト、歌手、編曲者という松下の仕事は、その尺度を考える背景になる。演奏の能力は目立つ一瞬だけに現れるものではなく、続けるか、収めるかという判断にも関わりうる。これは構成についての批評的な読みであり、すべての録音上の選択の由来を知っているという主張ではない。本人の説明や資料がなければ、制作現場に架空の会話を置く理由はない。それでも、公表された曲順には向き合える。ある音楽の考えにとって十分な長さとは何か。その感覚を一枚がどう変えるかと問うことはできる。
後年の版では、その外周が変化する。ワーナーの二〇二二年SACD公式曲目表は、日本語版「September Rain」を四曲目、英語版を十曲目のボーナスとしている。一方、確認したSpotify版は十曲目を日本語版と表記する。これらは、架空の統一版へ整えるのではなく、別々に保持すべき情報だ。追加曲は終わりの感じ方を変えるが、原作が初めから同じ十曲だったことにはならない。目の前の媒体を少し丁寧に見分けることも、アルバムを聴く態度の一部にできるだろう。
こうして『FIRST LIGHT』には、両立する二つの時間がある。作品の中には、冒頭、短い部分、長い終曲のあいだの伸縮がある。その外には、一九八一年の初作から後年の再提示までの間隔がある。一方は没入を誘い、他方は何を聴いているのかの確認を求めるが、互いを妨げる必要はない。版の違いを理解したあとで、最初の光と日没は再びイメージとして働ける。私たちのために完成済みの予定表ではなく、どこでどれだけ立ち止まるかを選べる時間のあり方として。