都市の音楽の地図に実在の通りだけを描くと、人が本当に行きたい場所を落としてしまうかもしれない。大貫妙子の1980年の『ROMANTIQUE』は、題名の上で「CARNAVAL」から「蜃気楼の街」へ進む。公の賑わいと、見えるものの不確かさとの距離がそこにある。蜃気楼は地図の作り間違いではなく、街が想像の対象でもあるという合図になる。レコードは、遠さや帰属を考えるために実際の住所を提出する必要はない。
公式の制作資料には坂本龍一、加藤和彦、清水信之の編曲への参加が記され、役割は曲ごとに確認できる。その構造があるから、ロマンティックという言葉は表紙に浮かぶ気分だけに留まらない。想像にも組織が要る。演奏し、録音し、順番に置ける形へ、具体的な人が作品を整える。題名に許される曖昧さと、署名に求められる明快さは両立する。誰が作ったかを知っても、夢が夢である資格は失われない。
シティポップの地図に対しても、この作品は境界の問いを投げる。街はいつも近代的で、明るく、消費できる場所に見えなければならないのか。蜃気楼は見えることと到着することの隔たりを、カーニヴァルは人の集合を示唆する。両端の題名から、距離や集まりについて読むことができる。作者の内心を証明する必要はない。都市の想像には、保証されない行き先や一時的な集まりも含まれると気づけばよい。
『ROMANTIQUE』は、特定の欧州の街を証明する音の身分証より、開いた図面として考えたい。外来の題名、異なる編曲の責任、順序を持つ歌が一つの作品を作り、聴き手の地理的な連想は変わり続けられる。地図を埋めすぎると、想像の立つ場所がなくなる。確かな発売年と、確定しない街の形とのあいだに留まることを、この一枚は許す。歴史を捨てる必要も、ロマンスに住所確認を求める必要もないのである。