ロボットは普通、任務を割り当てられるのが得意だ。だが「セクシー」は、取扱説明書へ書き込む性能としては扱いにくい。当山ひとみの1983年の四作目『SEXY ROBOT』は、その二語を衝突させる。目を引くポップな題名であると同時に、懐かしい機械の絵より長持ちする問いも生む。技術の言葉が親密な関係に入ると、人は自分をどう表すのか。アルバム全体をSFの物語と断定しなくても、この不釣り合いだけで考える余地がある。
公式曲目表の「言い出しかねて -TRY TO SAY-」や「愛はゆっくりやってくる -SLOW LOVE-」には、あまり機械的ではない条件がある。ためらいと遅さだ。これは題名の読みであり、歌詞へ架空の物語を補う話ではない。言いたくても言えない人、効率よく進まない関係。それらの語彙と、ロボットが連想させる精確さとのあいだに摩擦が生まれる。未来らしさと人間の不揃いさは、修理を待たずに同居できる。
このアルバムには「CATHY」も入る。コロムビアの告知では、2024年の当山作品の企画でNight Tempoが同曲を再構成したと確認できる。原作と後の版を区別することは大切だ。新しい処理は別の視点を与えても、1983年の一枚全体を遡って同じものへ変えはしない。技術は録音の見つかり方、使い直され方、名付けられ方を変える。ロボットを題名に持つ作品には、とりわけ考えがいのある後日談だ。
シティポップの地図へ置くなら、『SEXY ROBOT』という名の可笑しさや落ち着かなさを、夜景に磨き直さず残したい。機械は時代の装飾になりやすいが、人は想像された未来の消費者だけではない。口を開こうとすること、遅さを認めること、版の違いを知ることには、具体的な関係がある。硬い名詞の隣に柔らかく不確かな言葉を置く。その面白さは、未来が円滑になることより、語るに値するものになることにある。