『NEXT DOOR』と『SEXY ROBOT』は、ともに一九八三年の作品だ。四十年以上が過ぎると、隣の扉、未来的な機械という題名さえ時代の標本に見え、過去が分類を終えたように感じられる。しかし当山ひとみは、静止しない例を示す。公式プロフィールには旧作だけでなく、二〇二三年にNight Tempoの作品へ歌と作詞で参加したこともある。目録の中の人は、現在形を使うことができる。
一九八一年のデビューには『JUST CALL ME PENNY』があり、Pennyという愛称も公の名前と並ぶ。愛称は親しさを作るが、仕事をかわいらしいラベルへ縮めなくてよい。親しく呼ばれる歌手が、異なる企画で別の責任を担うこともある。個性はプロフィールの写真のように、ずっと動かずにいる必要はない。
二〇二四年、ColumbiaはNight Tempoによる『NEXT DOOR』の「エキゾティック横顔」と『SEXY ROBOT』の「CATHY」の再制作を案内した。二曲は異なる現代的な処理を受けた。この明確な版の関係は、昔の名曲が再び人気という曖昧な説明より多くを語る。新制作は、古い録音が自動的に表紙を替えることではなく、別の仕事である。区別すれば、原盤に後の処理の特徴をすべて背負わせずに済む。
聴き手にとって原曲と新版は、双方向の注意を作れる。新しい版から戻る人は、曲のもともとの隣人を知る。アルバムから先へ進む人は、素材がどう再配置されたかを見る。どちらの道も、それだけで正統になるわけではない。両端の名前、年、役割を保ち、時代を越える出会いを時間を消す口実にしないことが大切だ。
当山の仕事は閉じた展示ケースでなく、まだ開けられる二つの扉のようだ。昔の仕事は保存に値し、新しい仕事は仕事として認められるべきだ。懐かしさは、人の過去を好きなら本人を十分知ったと思いがちである。資料を開いたままにし、歌手が馴染みの題名の横を通れるようにする。そして昔の自分を演じ続ける義務を負わせない。当山は、そんな生きた可能性を見せてくれる。