「DOWN TOWN」という歌は、ポップスの公共空間を考えるのに向いている。最初に歌った人が永久に管理する必要も、別の声になった途端に来歴を失う必要もない。伊藤銀次と山下達郎が共作したこの曲は、後にEPOのデビューの重要な入口になった。作詞を担った伊藤は、その移動の中にも残る。後から歌った人を先に知り、名前を頼りに以前のバンドへ戻る聴き手もいる。音楽の街路は、必ずしも一方通行ではないのである。
伊藤の公式略歴には、シュガー・ベイブでの活動、山下と大瀧詠一との『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』、その後のソロ作品『Deadly Drive』という座標がある。それらを、表舞台から「裏方」へ退いてゆく一本道に並べる必要はない。伊藤は書く人であり、自分の作品の前にも立つ。バンドにも参加し、個人名義のレコードも作る。役割が変わることは、働く方法が増えることであって、創作者としての存在が薄くなることではない。作詞欄の名字だけと考えると、その流動性を見落とす。
一九八〇年のEPO『DOWN TOWN』は、以前からある曲を新人の自己紹介に置いたアルバムである。ソニーの公式資料は表題曲をシュガー・ベイブのカバーと説明する。カバーすることは、個人の表現が欠けている証拠ではない。どの既存曲を選ぶかも、自分が入りたい関係を示す行為になる。伊藤の言葉には、最初の共同作業と、新しい声が新しい聴き手に出会うときという二つの時間が生まれる。歌は受け継いだままの家具ではなく、使い直すことで意味が動くものなのだ。
そのため、シティポップにおける伊藤の場所には穏やかな開放性がある。ジャンルの歴史は「誰が最初か」に執着し、出生順を決めれば音楽を理解したようになりがちだ。彼の道は、「誰が何を誰へ渡したか」と問うほうがよく見える。誰かの出発を助ける歌は、原作者の重要性を減らすのではなく、署名の寿命を延ばす。ダウンタウンは同じ人々が永遠に占める舞台より、人が来て、去り、なじみの道を違う歩幅で歩き直す場所として考えたほうが面白い。