「フライディ・チャイナタウン」は、曜日と街区を一つの題名に収める。夜の時間にも郵便の宛先があるようだ。歌と作曲は泰葉、作詞は荒木とよひさ、編曲は井上鑑。この組み合わせによって、歌は歌い手の作品であると同時に、共同で想像された都市にもなる。とりわけチャイナタウンという名は、地図で探せそうな場所でありながら、すでにある期待をまとっている。そこへ向かう理由は、確かな道案内を得ることより、日常の自分から少し離れられることかもしれない。
荒木のつながりは泰葉だけに限られない。EPO『GOODIES』の資料では、「PARK Ave.1981」の作詞に荒木とEPO、作曲にEPO、編曲に清水信之が記される。住所の気配を持つもう一つの題名が、別の歌手の世界へ彼を連れていく。街区や大通りは都市計画に属するものだが、歌の中では私的な感情が公共の場所と出会う名詞になる。二曲が同じ物語を共有する必要はない。地名が一つ置かれるだけで、表現がある場面に位置づけられることが興味深いのだ。
その場面は、少し距離を取って見ることもできる。歌にある異国の気配は、実際の土地のすべてを代表しないし、夜遊びの題名が街の住民の声になるわけでもない。ポップスの魅力の一部は、空間を一時的な役柄に変えられる点にある。聴き手は転居届を出さずに、入り、出て、また入れる。荒木の作詞クレジットは、その制作へ目を向けさせる。歌手がいる都市は、最初から存在する背景とは限らず、言葉と音が一緒に組み立てた舞台でもある。
荒木の名前を読み直すと、シティポップの「シティ」にもいろいろな出所があると分かる。録音技術から来る場合も、ジャケットの絵から来る場合もあり、簡潔な題名が入口になることもある。題名は表札のように知らない人を立ち止まらせ、その中でどう過ごすかを作曲、編曲、歌唱が決める。荒木の役割は、どの街にも正確な説明書を付けることではない。場所の名を、感情の可能性とともに音楽へ送り込むことである。地図では動かない地点が、耳元では流れていく時間になる。