編曲が変わり、年代が変わり、聴き手が出会う媒体まで変わっても、「あの曲だ」と分かる歌がある。「CAT’S EYE」にある小田裕一郎の作曲クレジットは、この身近で不思議な現象を具体的にする。三浦徳子の言葉とともに、繰り返し歌われる作品の基盤になっている。シティポップの地図は特定のレコードを中心に描かれやすいが、作曲家の道はその外へも続く。書かれたものは、最初に住んだ部屋を全部持たずに、別の家へ移ることができるのだ。
『ルパン三世VSキャッツ・アイ』の公式資料では、杏里「CAT’S EYE 2023」に小田と三浦の名が引き継がれ、その録音の編曲者も示されている。この小さな事実は、「永遠の名曲」という決まり文句より役に立つ。作品が続くために、制作まで同じである必要はないからだ。再録音は古い品を磨いてそのまま棚へ戻すことだけではない。出所を認めながら、現在の演奏や制作が独自の責任を引き受けることにもなる。
小田へ向かうもう一つの道には、松田聖子の「青い珊瑚礁」がある。国立民族学博物館の音響資料では、作曲が小田、作詞が三浦、編曲が大村雅朗と確認できる。なじみの作家の組み合わせが再び現れるが、歌手も作品の周囲も違う。「CAT’S EYE」と並べれば、アイドルの歌、アニメに関わる音楽、後にシティポップと呼ばれる聴取の領域は、切り離された三つの倉庫ではなくなる。旋律を書く人が、その間に通れる扉を残している。分類は便利でも、協働の関係を最後まで決めるものではない。
小田の重要性は、この移動可能性からも理解できる。ポピュラーな作品には、認識できるほど明確な輪郭と、別の人が再び解釈できる余地の両方が必要だ。その釣り合いはジャケットの最も目立つ場所にはないが、歌が生き続けることに関わる。新しい版で作曲者を思い出すことは、古い版を好む義務を負うことではない。旋律の来歴と、今の演奏の現在という、二つの時間を同時に認めることである。服は変わる。その変化の中でこそ、同じものを見分けることが面白くなる。