水曜日には、月曜日のような定番の不満も、金曜日のような期待の作りやすさもない。一週間の中ほどに挟まれ、始まりには遅く、終わりと呼ぶには早い。「雨のウェンズデイ」は、その目立たない区間に天気と重さを与える。カレンダーは順調に進んでも、個人の暮らしが同じ速度で進むとは限らない。人と人とのあいだで起きる変化は、それが週の途中に当たったからといって、重要さを小さくしてはくれないのである。
松本隆の詞と大滝詠一の曲によるこの作品は、一九八一年の『A LONG VACATION』に収録されている。アルバムは長い休暇を差し出すのに、曲名は私たちを一週間の内部へ戻す。この並び方は示唆的だ。休暇は仕事の予定を止められても、人間関係の未処理の部分まで止めることはできない。空いた時間は、ときに反響のよく聞こえる部屋になる。普段は用事の下に隠れているためらいが、ようやく姿を現せる広さを持つのだ。
題名の表記も、普通の時間を少しだけ遠ざける。「雨」という直接的な日本語のあとに、英語の音から書き直された「ウェンズデイ」が続く。同じ一日なのに、名づける位置が変わる。ロマンスは、こうした小さな言語上の引っ越しによって成立することがある。生活そのものは動いていなくても、それを話す別の方法が見つかる。ただし新しい呼び方は、新しい結果を保証しない。言葉は表情を変えられるが、当事者に代わって決断することはできない。
曲の関係の緊張は、雨を悲しみの見栄えをよくするだけのフィルターにしない。現状を保つのにも力が要るが、決定的な変化を宣言するには早すぎるように思える。そんな中間状態が、二人の時間にはある。そこでは沈黙も空白ではなく、一緒にいることも合意と同じではない。水曜日の中途性は、その状態に形式を与える。決断以前の時間を、ためらいというだけで弱さにせず、居続けるというだけで解決とも見なさずに、受け止められるのである。
これは休暇の空想に対する、穏やかな修正だ。旅や休息や晴天が、関係の交渉を代わりに済ませてくれればと思うことがある。しかし関係には、それに合わせて変更できる公共の時刻表がない。水曜日は自分から記念日に変わらず、雨も会話の続きを話してはくれない。題名が残すのは、普通の日が普通でない重さを支える能力である。翌日が来ても結論は出ていないかもしれない。それでもこの日は、週の予定表から気軽に線を引いて消せる一枠ではなくなっている。