「二人だけのセレモニー」は、一九八五年一月十六日に発売された。二人に属する儀式が、たくさんの聴き手へ向けた流行歌として届く。題名だけでも、大小の尺度が入れ替わる面白さがある。セレモニーという語は、ある決まった形や共同の承認を思わせるが、「二人だけ」はその集まりを小さくする。親しい関係も自分たちの秩序を作る、と読むことができるだろう。これは題名を手掛かりにした文化的な解釈であり、歌詞の説明でも、歌手の私生活についての判断でもない。広く理解できる形式が、限られた人数のものに見える感情を受け入れる、その仕組みに注目してみたい。
公式のクレジットは、夏目純作詞、尾崎亜美作曲、松任谷正隆編曲、岡田有希子歌唱と役割を明らかにする。それぞれは重ならない仕事でありながら、完成した一曲では互いを必要とする。題名は想像の方向を示し、旋律は言葉に時間を与え、編曲は歌うための構造を用意する。署名だけで、具体的な楽器や録音方法まで断言することはできない。しかし、ここで論じている共同作業の所在は確認できる。尾崎や松任谷を知っているシティポップの聴き手にも、実際の仕事を通じた入口がある。漠然と洗練されているという印象ではなく、何を誰が担ったかから曲へ近づける。
この作品は岡田の四枚目のシングルであり、竹内まりやが関わった最初の三枚に続く。作者の組み合わせの変化を、以前のイメージとの完全な決別や、本人が語っていない成長の物語にする必要はない。より具体的には、レパートリーの源が広がったことを示す。公の場ですでに認識される声が、別の書き手たちと新しい仕事の関係に入ったのである。演唱者の連続性と制作陣の変化は両立する。聴き手は同じ歌手を知っていると思いながら、その周囲では次の一曲へ向けて専門的な関係が組み直されている。流行歌の歴史を考えるとき、その細かな尺度も大切にしたい。
『FAIRY』に入ると、この曲は四曲目となり、シングル版とアルバム版という区別も現れる。公式目録の別商品にはSingle Versionの表示があり、採用した復刻版の販売資料にはAlbum Versionと記される。作品は同一性を保ちながら、録音として複数の実現を持つことができる。一方、版が違うからといって、完全に別の楽曲になったわけでもない。図譜では、同じ作品へ関係をつなぎつつ、再生のリンクと特定の発売版が何を代表するかを、それぞれに説明するのが役立つ。そうすれば、つながりを失わずに、実際には同じ音を指していない可能性を残せる。
シングルの裏面は「PRIVATE RED」で、売野雅勇作詞、山川恵津子作曲、大村雅朗編曲と記される。小さな二面のレコードに、異なる二組の制作関係が入っている。二〇一五年の『FAIRY』復刻では、この曲が追加トラックになった。以前は両面で隣り合った二曲が、今度は本体と付録という関係で出会う。これは録音された音楽の形について考える手掛かりになる。私たちが気軽に同じ時期と呼ぶものも、媒体によって違う単位に切り分けられるのだ。単位の変化を認めておけば、新しい入口が便利になると同時に、もともとの曲同士の関係も見失わずに済む。
親密さを題材にした流行歌では、聴く人の人数と、題名が示す人数が同じである必要はない。大勢に届くからこそ、それぞれが自分に近い距離を探すこともできる。この歌についても、特定の相手や場面を読者に指定せず、題名が用意する尺度の変化を残したい。小さな集まりを大きな媒体で共有するという仕組みは、歌詞を借りなくても考えられる。ひとつの作品が、公の流通と個人の想像の両方に属すること。その両立が、題名を読み返す楽しさにつながっている。
「二人だけのセレモニー」は、岡田の作品群における一つの交点になる。複数の作者の実践、シングルの両面、アルバムの位置、後年の公式映像での流通がここを通る。しかし、それらを歌手の人生の寓話に変える必要はない。光の中に隣り合う二つの空席は、親密さの編集上の比喩になるだろう。席の主を決めなければ、歌手や聴き手の経験を勝手に指定せずに済む。歴史は日付と署名が支え、題名の想像力は一回ごとの出会いへ開いておく。儀式には形があり、その形には、違う人が違う仕方で入れる余地も残っている。