ソロの最初のアルバムに「long time ago」という曲名がある。新しい始まりとして提示される作品の中で、題名はすでに遠い過去を向いている。その小さな時間の逆説は、杉山清貴の私生活を推測しなくても考えられる。新しい仕事の章を始めることは、それまでの人生がなかったことにはならない。最初のソロ・レコードを作っても、記憶の時計まで零に戻るわけではない。発売日は新しく、表現の指し示す時間はもっと古い。ポップスには、そのずれを受け止められる場所がある。
VAPのクレジットは役割を具体的に示す。松井五郎が作詞し、杉山が作曲し、松下誠が編曲する。異なる仕事が、一人の歌手名で流通する録音作品を形作っている。それは暴くべき秘密ではなく、見ておきたい構造だ。題名が思わせる私的な時間さえ、集団の作業によって形を得ることがある。名前を残すことは歌手の主体性を弱めず、歌をばらばらの部品へ分解することでもない。言葉の構成、旋律の書き方、音の関係を組み立てる方法という、複数の入口が一つの作品に開かれるのだ。
松下の編曲者としての名前は、この地図の別のページへ続く確かな道にもなる。『FIRST LIGHT』などを通して彼を知った人には、同じ音楽家が役割を変えて現れることがわかる。あるレコードでは中心の作者であり、別の歌手の作品では編曲を担う。二つの録音が同じように響くと決めつけなくても、その関係は十分に意味を持つ。創作は、いつも本人の名前が大きく書かれたジャケットの下で行われるわけではない。スターの名前だけで棚を整理するより、仕事の違いをたどるほうがポップスの作られ方を多く残せる。
二〇二二年再発には「ANGEL EYES」も加わり、VAPはこれを「long time ago」の英語詞版、しかも当該項目はSE無しのバージョンと明示している。別の題名、Linda Hennrickという詞の署名、具体的な版の説明。それらを、同じ曲という便利な言葉で消してしまいたくない。作品が異なる表現条件のもとへ戻ってきたことが、ここでは重要になる。詞を比較せずに逐語的な一致を言うことも、マスターを確認せず二つの収録位置を同一録音にすることもできない。差異を残すほうが、作品の移動を正確に見られる。
二〇二五年のキングレコードの記事は、杉山の二〇二四年ツアーでも「long time ago」が歌われたことを記録している。この小さな事実が、題名の過去を後年の現在へ連れ戻す。初期のアルバム曲は、発売された十年間の標本として固定される必要がなく、新しい作品と同じ夜を過ごせる。実際に見ていない客席の感動を想像で補わなくても、その並び方の可能性には気づける。遠い昔とは、歌い手と聴き手が年を重ねるほど変わる距離なのだ。再び歌われるたびに、その時間は初出年だけの所有物ではなくなる。