曲としての「LOVE TRIP」は、同名のアルバムとは別の仕事を持っている。それは、始めることだ。アルバム名は作品全体を覆うことができるが、最初の曲は限られた時間の中で、その大きな言葉に具体的な尺度を与えなければならない。ユニバーサル提供の配信資料では冒頭に置かれ、長さは約四分。旅という題名は、入口があり、一定の長さがあり、もう一度たどることのできる経験になる。始まりは過去の一回きりの出来事ではなく、曲順を開くたびに更新される条件でもある。
その入口に関わった名前は、分けて読んでおきたい。作詞は来生えつこ、作曲と編曲は椎名和夫、歌唱は間宮貴子。ジャケットの大きな名前が、すべての創作上の仕事を代行するわけではない。言葉、旋律、録音の中での配置は隣り合うが、同じ役割ではないからだ。一方で、分担を知ることは一曲を細切れにするためでもない。クレジットは地図の凡例に似ている。誰の働きかを理解する助けになるが、数秒ごとに楽しみを止め、点呼を取る必要はない。
題名の二語も、解釈の幅を残している。愛と旅はいずれも位置や関係の変化を連想させるものの、幸福な到着を必ず約束するわけではない。これは題名からの読みであり、歌詞の筋を勝手に要約することとは違う。アルバムの入口として考えるなら、結論より先に期待が生まれるところが面白い。聴き手は、自分のまだ決まっていない方向を持ち込める。特定の役を引き受けたり、すべての場面を歌手の実体験と考えたりする必要はない。歌い手と物語の距離も、ポップソングの自由なのだ。
曲とアルバムの題名が同じとき、記憶は両者を一つに縮めてしまう。しかし、冒頭曲の責任は後に続く可能性を先回りして言い尽くすことではない。一枚に近づく方法を示し、その後で異なる書き手の組み合わせや、次の曲へ場所を譲ることもできる。この曲を繰り返す行為と、アルバムを通してたどる行為は、どちらも成立する。前者は一つの出会いを深くし、後者はそこに隣人を増やす。聴き方の尺度に、最初から一つの正解があるわけではない。
現在の公式配信は、さらに別の入口を用意する。アップロードの日付を一九八二年の初出日と取り違えず、題名が同じというだけで異なる再発のマスターを同一視しない。その区別を保てば、一度のクリックに音楽史全体を背負わせなくてもよくなる。誰が歌い、誰が書き、提供元がどの版を示しているのかを確かめたうえで、曲へ戻れる。冒頭の「LOVE TRIP」が長く保つ力は、出発を可能なままにしておくことかもしれない。どこへ到着するかまでは、聴き手に委ねながら。