ネット上の古い歌は、何冊もの旅券を持っている。アルバムはある年代のもの、映像は別の年代のもの、アップロードの日付は新しい到着を告げる。「LOVELAND, ISLAND」は、その書類を一枚にまとめないほうが面白い曲だ。一九八二年の『FOR YOU』ではB面の一曲目。公式ディスコグラフィーには、「YOUR EYES」と組み合わせた二〇〇二年一月二十三日発売のシングルもある。そして二〇二三年五月のソニーの発表は、二〇〇二年制作の特別映像がYouTubeで初公開されたというものだった。どの日付も、別々の問いに答えている。
その映像には東山紀之が出演し、公式告知はダンスにも触れている。ネットで新たに公開されたからといって、二〇二三年に制作された映像になるわけではない。まして曲がその年の新作になるわけでもない。この小さな区別は、懐かしさについての大きな問題につながる。自分が発見した時点を、作品が再び存在し始めた時点と取り違えやすいからだ。個人の出会いは本物である。しかし、それ以前にあった他者の出会いまで消す必要はない。新しい観客に届くまで、曲が無人島にいたとは限らないのだ。
レコードの構造には、別の到着もある。B面を聴くには盤を裏返し、改めて再生する。その一曲目である「LOVELAND, ISLAND」は、アルバムの途中にいながら再登場の役割も持つ。その境目は実用的なものだ。手を動かし、少し待つという普通の行為が、時間を確かに区切る。連続再生なら、その切れ目は滑らかになくせる。それでも位置を覚えておくと、音楽史の小さな部分が戻ってくる。人が音楽を収めた物体に対して、何をしていたのかという歴史である。
この曲では山下達郎が作詞、作曲、編曲、歌唱を担う。一人に集まる署名は、同じアルバムにある共同制作と並べて考えられるが、それを一段上の真正さにする必要はない。表紙の名前が変わらなくても、曲ごとに制作の単位は変化する。個人のスタイルには、複数の働き方を受け入れる余地がある。地図に記された名前は一定でも、その名前の内側で行われる作業まで一定とは限らない。その柔軟さもまた、一枚のアルバムを豊かにする。
最後に、題名の島を到着の比喩として考えてみたい。アルバムから来る人、シングルから来る人、後年公開された映像から来る人。それぞれの航路は違っても、どれか一つが目的地を所有するわけではない。入口の違いを確かめると、「名盤」や「名曲」という言葉も少し柔らかくなる。生まれた年だけで説明される品物でも、公開されるたびに履歴が消える新品でもない。以前の入国印を持ったまま、次の場所へ進める。それが長く聴かれる歌の、実用的な自由なのだ。