『Shylights』は「ドラマティック・レイン」で始まる。第一行に、すでに見覚えのある顔が置かれているような曲順だ。しかし、アルバムの仕事は親しみをそのまま引き延ばすことだけではない。稲垣潤一のセカンドアルバムは、一九八三年二月一日に発表され、公式の曲目には九曲が並ぶ。シングルとして先に出会った一曲が、今度はほかの八曲への入口になる。知っているものを求めて訪れた聴き手が、途中で注意の配分を変える。そのような変化も、一枚の作品が生み出す価値だろう。
レーベルの解説では井上鑑がメイン・アレンジャーとされている。この限定を落としてはいけない。冒頭曲の編曲は船山基紀であり、全体に一貫した印象があるからといって、異なる仕事を一人の署名にまとめることはできない。むしろ連続性は、違いの間で作られるものと考えたほうが面白い。一つの光がいくつもの素材に届き、それぞれ違う反射を返す。統一感とは、表面がすべて同じであることではなく、その違いが同じ時間の中で成立する関係なのかもしれない。
公式解説は、安部恭弘作曲の「ロング・バージョン」をメロウなボサノヴァとして紹介し、「ロンリー・ガール」をランディ・ヴァンウォーマー作品の日本語カバーと説明する。洗練の由来は一つではない。リズムの形式を選ぶことにも、別の言語へ曲を移すことにも、具体的な工夫がある。豪華な架空の室内を思い浮かべる前に、そうした異なる作業を見ておきたい。歌い手の個性は、素材の輪郭を消して同化するだけでなく、輪郭を残したまま近づける力としても考えられる。
最後に置かれるのは「LONG AFTER MID-NIGHT」だ。題名だけを眺めても、入口の雨と出口の深い時刻の間に、時間の幅を読みたくなる。ただし、これは曲順が批評に開く可能性であり、本人が語った制作構想ではない。タイトルが想像を誘うことと、想像が事実になることは別である。その区別を保つことで、アルバムの文学的な余地を楽しみながら、確認できない物語を作品へ押しつけずにすむ。聴き手が持ち込む夜にも、適切な余白が必要なのだ。
再発盤を調べると、もう一つの時間が現れる。ここで公式曲順を確認できるUPCY-6457のCDは、二〇〇八年一月二十三日の発売であり、一九八三年の作品そのものの誕生とは区別される。作品が初めて世に出た時と、別の形で聴き手に渡された時。その両方を残すと、アルバムは昔の空気を閉じ込めた記念品だけではなくなる。九曲の配置は、いまでも注意の向け方を変えられる。よく知られた冒頭の陰で通り過ぎた細部に、再び光を分けることができるのである。