井上鑑の公式サイトには「High-Tech, Hand Made」という言葉がある。二つを並べるだけで、シティポップを読むためのよい案内ができる。道具が精密になるほど、人の選択が自動的に減るわけではない。井上は泰葉「フライディ・チャイナタウン」を編曲し、荒木とよひさが作詞、泰葉自身が作曲と歌唱を担った。作品の輪郭は、特定の機械や時代の音色だけでなく、それらの責任がどう組み合わされるかからも生まれる。現代的であることは、道具から手を離すこととは限らない。
ユニバーサルの伝記によれば、井上は作曲を学ぶ学生時代から広告音楽の作編曲や鍵盤奏者の仕事を始め、一九八一年に「GRAVITATIONS」と『予言者の夢』でソロのレコード活動を始めた。依頼された仕事と個人の作品が、同じ職業生活に存在している。「自由な創作」と「他人のための仕事」の二者択一ではない。広告には短い時間で認識される必要があり、歌には声を形にする必要がある。目的は違っても、どちらも抽象的な技術の誇示ではなく、時間に責任を持つことを音楽家へ求める。
だから「フライディ・チャイナタウン」は、全経歴を代表する勲章というより入口になる。そこから井上へ向かうと、編曲と鍵盤演奏の近さに気づく。一方は歌全体の組織に関わり、もう一方は指が楽器に触れる具体的な行為である。音楽家は遠くから全体を見ながら、近くで材料にも触れられる。サイトの短い標語は、その尺度の変化を考えさせる。技術と温かさを敵同士に分け、どちらかを選ぶよう迫ってはいない。
昔のレコードを論じるとき、私たちは機材を時代の証拠として扱いがちだ。シンセサイザーを何台か挙げれば、都市全体が戻るかのように。しかし井上の仕事は、道具が自分で関係を書くわけではないと思い出させる。各部分がどう応じ合い、変化の中で歌がどこへ進むかを決める人が必要なのだ。手作りとは技術を懐かしく拒むことではなく、その使い方への責任でもある。井上の名をたどれば、シティポップは輝く表面の収集にとどまらず、選択、手触り、組織についての継続的な実践になる。