音楽の分類には、ときに余計な優越感が付く。大衆に馴染みの場所を離れなければ、一曲を真面目に扱えないかのようだ。岩崎宏美を考えると、その姿勢は窮屈になる。Victorの紹介では、一九七五年に「二重唱」でデビュー。一九八〇年の『WISH』の公式曲目には、細かな創作の分担が記される。広く知られた歌手であることと、近くで見る価値のあるアルバムを持つことは、矛盾する条件ではない。
『WISH』では筒美京平が一貫して作曲し、編曲を筒美、後藤次利、戸塚修らが分担する。作曲の中心を保ちながら、音を組織する人は変えられる。共同作業を個性を薄める妥協とするより、正確な責任の配置として見たい。歌手は埋められるのを待つ空欄ではなく、作曲と編曲もスターの背後で省略してよい一つの仕事ではない。
曲順には「Street Dancer」「女優」があり、初めと終わりに「Wishes」がある。街、役柄、願いという異なる表現の場所を、題名から考えられる。それだけで音楽を判断はできないが、名前と並びが期待をどう組むかは見える。複雑な準備を聴き手の負担にせず、表現を直接届くものにする。その技術もポップスの専門性だ。自然に完成するほど、その労働は忘れられやすい。
岩崎をシティポップと歌謡曲の接点に置く意味は、昔の作品へ流行の身分証を渡すことではない。大衆文化の中で知った歌手に注目する聴き方と、アルバムや制作の名簿を追う聴き方。その二つを会話させることにある。どちらが高級かを決めなくてよい。代表曲からでも筒美の署名からでも、同じレコードの前へ着くことができる。
だから『WISH』のクレジットは、歌唱に無関係な付録ではない。岩崎が向き合う曲に具体的な来歴を与え、聴き手にも馴染みの歌声を囲む異なる職責を見せる。表に現れる表現と、その準備は互いの正体を暴く関係ではなく、一つの仕事の別の部分だ。真面目にポップスへ向き合うことは、必ずしも珍しい作品の発見から始まらない。よく知った名前に、これまで渡さなかった時間を渡すだけで始まることもある。