「フライディ・チャイナタウン」という題名は、馴染み深いイメージを呼び起こす。文字、ネオン、夜景、そして頼まなくても集まってくる都会の装飾。しかし泰葉の音楽には、もっと簡素な入口もある。Universalによるデビュー盤『TRANSIT』の説明は、全曲を本人が作曲したと明記する。看板からその署名へ視線を動かすと、歌手の姿に能動性が加わる。風景に配置される人であると同時に、音楽の行き先を決める人なのだ。
一九八一年のこの作品はデビュー・シングルに続き、「Bye-Bye-Lover」「Remember Summertime」などを収める。同じ作曲者が異なる題名に向き合うことは、同じ紙の上で別の問いに答えることに似ている。作詞と編曲には別の分担があり、中心と協働が共存する。全曲作曲は、すべてを一人で作るという意味ではない。漠然とした天才の称号より、具体的な職責のほうが多くを教える。
『TRANSIT』という名からは、通過を未完成ではなく過程として読むこともできる。曲は作曲、編曲、歌唱、流通の間を移り、いくつもの手を経て最初の場所を離れる。二〇二三年には、音楽出版社がNight Tempoによる「フライディ・チャイナタウン」の公式リエディットを発表した。初期作品が、新たな制作関係へ入ったのである。つながりは確かだが、原曲と再編集を同じ物にする必要はない。
後年の流通によって、二つの時間が同時に見える。新しい聴き手は昔の曲を現在で使えるが、作者が今の流行の脚注になるわけではない。原曲を尊重するために最初の聴取環境を再現しなくてもよく、新版を認めるためにそれを救済者に仕立てなくてもよい。双方は、それぞれの年と署名を保って並べられる。
泰葉を理解するとき、ネオンを遠くへ置き、制作中の楽譜を手前へ持ってきてもよい。光は人を招き、紙は思い出させる。見慣れた都会のイメージが、独りでに旋律を書くのではない。題名で顔を上げ、作者の名前で近づく。その焦点の変化だけでも、余分な伝説を足すことなく、具体的な作り手が見えてくる。