歌い手のキャリアと、聴き手がその人を発見する瞬間は、たいてい出発点が違う。今井優子は一九八七年、「哀しみのペイヴメント」でデビューした。いま、その年号はヴィンテージの棚に貼る便利なラベルのようにも見える。しかし棚を並べたのは、後から来た私たちである。レコードに名を記された本人には、一枚の次にまた一枚があり、そのたびに違う責任や可能性が現れた。シティポップを入口に彼女の作品へ近づくとき、二つの時計が動き出す。作品が作られてきた歴史の時計と、ずっと後で聴き手がたどり着く時計だ。どちらかを動かすために、もう一方を止める必要はない。
一九九〇年、プロデューサーの角松敏生と作った『DO AWAY』は、格好の入口になる。「愛は彼方」の詞曲を書いた吉田美奈子をはじめ、クレジットは今井を既存の創作者のネットワークへ結びつける。ただし関係図には、静かな落とし穴もある。よく知られた名前だけを見ていると、歌手はその人たちが集まる場所になってしまう。同じアルバムの「Airport」には、作詞者として今井自身の名前がある。それはすべてを一人で作ったという意味ではなく、具体的な責任が一つ見えるということだ。役割の違いを丁寧に読むほど、共同作業は面白くなる。声は他者の書いた素材を受け取りながら、自分が運ぶ言葉の形にも関わることができる。
キングレコードは、一九九四年の『DISCLOSE』を、今井が初めてアルバム全編をセルフ・プロデュースした作品と位置づけている。この変化が重要なのは、そこで他者との協働が終わったからでも、それ以前の歌が本物ではなかったからでもない。セルフ・プロデュースは、決定に対する関わり方の変化である。一枚を作る仕組みの中で、歌手の名前が別の場所にも置かれるようになる。作者であることは、最初から持っているか、永遠に手に入らないかという資格ではなく、活動の中で育つものとして考えられる。作品につながる選択の範囲が広がっても、ほかの人の技術を必要とすることは続く。責任を増やすために、関係を消す必要はない。
二〇二三年、『DISCLOSE』のリマスター盤発売とともに、キングは『DO AWAY』を含む初期の七枚を配信解禁したと発表した。この同時性は興味深い。後年の自己決定を示す作品と、それ以前の共同作業が、同じ時点で新しく近づきやすくなった。過去は元の順番のまま戻ってくるわけではなく、新しい聴き手にも発売順にたどる義務はない。セルフ・プロデュース作品から入り、後で共同制作のアルバムへ戻れば、古いクレジットに別の問いを向けられるだろう。再発文化は、大切な品物を元の場所へ戻すだけではない。一つのキャリアのどの部分が、ほかの部分を説明するか、その方向を組み替えることもできる。
そのため今井優子は、スタイルをすでに閉じた時代と取り違えかねない音楽地図に、重要な奥行きを与えてくれる。媒体、共演者、聴かれる機会が変わるとき、何が続いているのか。答えを本人の内面についての作り話にする必要はなく、すべての作品が不変の人格を表すと断言する必要もない。自分の名前で音楽を作り続け、次の仕事へ進むという、具体的な持続もある。そう考えると再発見は、いまも動いている二つの歴史の出会いになる。一方には新しい愛着を育てる聴き手がいて、もう一方には、すでに歩みを続けてきた歌い手がいる。どちらにも先へ進む余地を残すことが、その出会いの喜びなのだ。