シティポップを路線図にするなら、林哲司は中央駅の大きな看板というより、複数の路線が使う線路に似ている。松原みきの「真夜中のドア/Stay With Me」と杏里の「悲しみがとまらない」は、ともに林の作曲。作詞はそれぞれ三浦徳子と康珍化である。同じ名前が異なる歌手の背後に現れることで、スターごとに完全に独立した音楽の世界がある、という便利な思い込みから一歩外へ出られる。
もちろん、つながっているからといって曲同士が交換可能になるわけではない。旋律は言葉や声と働き、録音にはさらに別の組織が必要になる。「悲しみがとまらない」の編曲欄には、角松敏生と林の両名がある。この小さな接続が、一枚のレコードを一人の天才だけに帰したくなる癖を止めてくれる。作曲と編曲は同じ人が担うことも、共同作業になることもある。名簿から個々の判断までは分からないが、誰が何をしたのかという問いを丁寧に立て直せる。
竹内まりやの「September」へ進むと、路線はさらに延びる。作詞は松本隆、作曲と編曲は林で、公開された作品リストでは一九七九年八月のシングルと確認できる。歌手が変わり、言葉の書き手が変わり、歌の枠組みも変わる。これらを並べてみるほうが、林の作風にいつでも使える形容詞を一つ貼るより興味深い。そこにある連続性は、異なる仕事を行き来する音楽家のものだ。一方、違いは曲と共作者、そして聴き手が出会う声に属している。
この地図における林の重要性は、知っている曲に印をつけるだけでは尽くせない。繰り返される共同作業、分担される責任、別の歌手の表現へ入っていける旋律の力が、技術を流通させるからだ。私たちはレコードを都会の灯りにたとえるが、その配線にはあまり目を向けない。林の名前を数駅分たどると、洗練とは協力の密度でもあると見えてくる。歌手が前景に立ち、旋律が耳を招き入れる。その交通網は、乗客がしばらく仕組みを忘れられるほど、よく働いている。