目を閉じることは、見る行為を終えることにも、注意を配り直すことにもなる。安部恭弘の「CLOSE YOUR EYES」は、その小さな動作を都会のポップ・アルバムの最後に置く。題名からここで考えたいのは、公の自分の姿をひとまず下ろすための許可である。人から落ち着いて見えるか、周囲の物が美しい写真になるかを、いったん点検しなくてもよい。これは歌の筋や作者の意図を断定する文章ではない。シティポップにあらかじめ出来上がった景色をたくさん添える視覚文化の中で、作品へ近づく別の姿勢を提案している。
ただし、歌の公的な歩みは句点から始まったわけではない。本人の公式ディスコグラフィでは、同名シングルが一九八五年九月二十八日、『FRAME OF MIND』が同年十一月に記され、後者では十曲目に置かれている。単独で人々に向けられた題名が、アルバムが聴き手に別れを告げる前の最後の題名になった。各発売物の録音が同一だと決めなくても、この位置の変化は考えるに値する。一つの作品が、先には招き、後には見送りを担える。手紙の冒頭の文を末尾へ移すように、言葉そのものを変えずに出会い方を変えるのが、周囲との関係なのだ。
記録された仕事の分担は簡潔である。作詞・作曲と歌唱は安部、編曲は清水信之。この数行によって、親密さは少しだけ神秘から離れる。ラブソングは一人がもう一人へ直接語るものと想像されがちだが、公に発売される歌には、多くの知らない人が近づける形へ表現を整える仕事もある。清水の貢献を未確認の楽器の音へ還元したり、スタジオ内の決断を作り話で補ったりする必要はない。より興味深いのは、私的な動作と共同の労働との関係だ。歌は近さを差し出しながら、作り手のそれぞれ異なる責任を保つことができる。
後年、この歌には違う隣人が加わった。ソニーが二〇二四年に紹介した四枚組『CITY POP STORIES』では、ほかの歌手たちとともに「Love Affair」のディスクへ収められている。その配置はシティポップとの接点を示しながら、分類が現在も続く文化的な仕事であることを思い出させる。安部の全作品を同じ様式にするものでも、一九八五年の聴き手が現在と同じ地図を使っていたと決めるものでもない。後の選曲は新しい並置を作る。そこから一曲をたどる人は、最初に方向を教えた分類を、最終目的地にしなくてもよい。
だから題名の小さな動作は、現在の聴き手のものにもなりうる。一枚の画像が想像上の年代を要約してしまう環境で、しばらく視覚の展示を止めることは、歴史を拒むことではない。まだ風景に説明されていない経験へ、数秒を返すことかもしれない。編集上の比喩として、閉眼は世界を消すことではなく、展示しやすい形だけではない世界を関係へ迎えることである。この歌のための場所を、懐かしさの消費で埋め尽くす必要もない。すぐ名づけない余白を残せば、作品と聴き手はそれぞれの時間を持って近づける。照明のすべてが整えられる前にも、親密さは始められる。