『STARGAZER』という題名は、目的地よりも行為を示している。星を見る人は遠くへ視線を向けながら、地上のどこかに立っている。ある夜の中にいて、それまでの一日も抱えている。この遠さと近さの関係を、杉真理が一九八三年に発表したアルバムへの入口にしてみたい。総題が可能性の方向へ開かれる一方で、曲名には季節、内気な人、学校のベル、相手を天使と見なすことの難しさなど、身近な尺度が現れる。曲名の言葉を通して見ると、大きな空の下に人間的な細部が集まっている。季節の広がりから、誰かを理想化せずに出会うことの難しさまで、作品へ近づくための異なる尺度が用意されているのである。
オリジナルLPは一九八三年四月二十一日発売、全十二曲という形だった。この限られた枠も、アルバムを経験するうえで大切だ。順番を決めるとは、到着と出発、ある場所に向ける注意の長さを決めることでもある。盤の両面を聴く形式なら、続ける行為の途中に小さな中断さえ入る。その形を意識すると、よく知られた一曲の大きさを、作品全体との関係の中で捉え直せる。シングル曲は、一つの建物の中にある部屋にもなる。遠方を見つめる題名の広がりと、両手で持てる盤の小ささとの間には、独特の尺度の感覚がある。
冒頭の「SHOW GOES ON」という曲名は、アルバムの世界が十分に開かれる前から、継続を告げている。入口に掲げられた言葉として読むだけでも、小さな逆説が生まれる。こちらは到着したばかりなのに、何かはすでに進行しているのだ。継続中の作家の仕事へ入っていく際、この感覚は役に立つ。一枚の作品が、あらゆることの始まりを演じる必要はない。ショーは観客を必要とする公的な形式であり、星を見る人はもっと私的な場所にいるように思える。二つの像を往復すると、外へ見せることと内側へ思い描くことが、同じ枠の中に収まってくる。
曲順から浮かぶ暦も、一直線には進まない。夏を含む題名の後に風の季節があり、春は盤の後半になって現れる。曲名が作る暦には、時刻表として働かなくてよいという面白さがある。アルバムには現実の暦に従わなくてよい自由があり、記憶もまた季節を選び直せる。日常では隣り合わない時点も、歌なら同じ場所に保存できる。後ろに置かれた一曲が、過ぎたはずの季節をもう一度連れてくることもある。曲順は、注意の向け方を選び直す仕組みになる。出来事が現実に起きる順番よりも、感情と感情の近さを優先できるのである。
この時間の自由を、とりわけ鮮明にする題名が「懐かしき80'S」だ。八〇年代がまだ始まって間もない一九八三年に、その年代を振り返る対象にする。ここで注目するのは、題名と発売年の間にある緊張である。懐かしさを、現在があらかじめ試してみる姿勢として考えられるのだ。今がいつかどのように見えるのか、未来の位置から想像してみること。数十年後の聴き手には、その視線が二重になる。すでに回顧の身振りを含む作品を、私たちが回顧する。古いアルバムは、後世の愛情によって初めて歴史になる無垢な現在だった、という単純な説明では収まりにくくなる。
「バカンスはいつも雨」はB面の後方にあり、その後に学校のベルを鳴らす題名、最後に「君は天使じゃない」が置かれる。この配置によって、よく知られた曲も、到着点だけでなく通過点として受け取れる。休暇の次に制度的な日常を思わせる音の名前が来て、結びの題名では相手への理想化が引き戻される。曲名同士の隣接を読むと、期待が次々に置き直される小さな運動が見えてくる。一つの入口の後に、別の生活を想像する入口が続く。アルバムには、こうした編集の力もある。知っているものに新しい隣人を与え、その意味の見え方を変えるのである。
後の形式には、さらに別の時計がある。二〇〇七年のソニー盤は原盤の十二曲に三曲のライヴ音源を追加し、公式の公演記録には、その後の周年企画としてアルバムを取り上げた演奏も残されている。拡張された再発盤と、あらためて行われる演奏は、異なる帰還の方法だ。いずれも原盤の順序を消すことなく、作品の生を豊かにできる。完成したものが、新しい機会や注意の向け方に開かれているからである。『STARGAZER』には、最初の曲順、その中で組み替えられる季節、そして人々がもう一度出会おうとする年月という、いくつもの時間が流れている。