初めてのソロ・アルバムに自分の名前を掲げることは、最も簡単な自己紹介に見える。一九八二年七月二十一日発売の『YOSHINO FUJIMAL』は、その簡単さを考え直す機会をくれる。名前は聴き手に中心を示すが、音楽は人々の配置の中で作られる。ワーナーの紹介には松下誠らの参加が記され、コーラスにはEPOと桑名晴子の名がある。似合う比喩は、鏡に映る一人の姿より、一つの住所にいくつもの窓が光る建物だ。窓ごとに、異なる存在の仕方が見えてくる。
住所には重要な役割がある。レコードを流通させ、店で探す言葉を与え、聴き手の記憶が戻る地点になる。しかし、その中で何が行われたかをすべて説明することはできない。ソロ・アルバムは、公に示す個人の姿と、集団による実践を矛盾なく含める。表にある名前は全体の提案に責任を持つが、実現のために行われたすべての動作を吸収する必要はない。合奏は、タイトルの後ろに付け足す注意書きではなく、タイトルが意味を持つための条件の一つなのである。
全八曲の並びにも、複数の見方がある。冒頭には「WHO ARE YOU?」、最後には「Pretender」が置かれる。問いかけと役割の間の距離に目を向けることはできるが、だからアルバム全体が一つのアイデンティティの物語を語る、と断定はできない。これは二つの題名を結ぶ編集上の読みであって、その間の歌詞の要約ではない。大切なのは、一曲だけでなく作品全体を形式として考え続けられることだ。始まりと途中と終わりは、同じ名前に対する期待を少しずつ変えていく。
後年の版は、さらに別の枠を加える。二〇二六年のSACDハイブリッド盤WPCL-13783では、八曲すべてに2022 Remasterと表示される。一方、ワーナーにはDJ Versionの別項目もあるので、似た題名だけで同じ版と扱うことはできない。この違いは収集家だけのためではない。自分が何に出会ったのかを、聴き手が正確に問えるようにする。初発売の日、再発の日、マスターの表示は、それぞれ別の時間を語る。再び流通するときにも、その時間を一つの年へ押し込める必要はない。
自分の名前を付けたアルバムは、個性がどう公のものになるかという問題への、具体的な答えにもなる。名前が一つの視点を定め、周囲の貢献が、その視点を閉じた囲いにしない。合奏を認めることは、音楽家を匿名の集団へ溶かしてしまうことではない。むしろ人を集め、選び、責任を引き受ける行為を見えやすくする。個人的な表現と呼ばれるものは、誰と共にあるかによっても個人的になりうる。レコードの単数形の名前には、一つの音楽的な人格が人々の関係から形になるまでの、複数形の説明を収められるのである。