大貫妙子の『SUNSHOWER』のドラムのクレジットに、クリス・パーカーの名がある。その事実は、アメリカ音楽の影響という言い方より具体的で、ネオンの絵一枚では置き換えにくい。一人の参加によって、様式どうしの関係に見えたものが仕事の関係になる。それでアルバム全体の性格を彼が決めたと断言できるわけではない。ただ、この録音の地理が、一国の枠だけには収まりきらないことはわかる。
パーカーの公式略歴は、職業上の道筋をポール・バターフィールドやニューヨークのスタジオ仕事へ結びつける。その背景は参照点になるが、有名人の推薦状のような長い名簿に変える必要はない。演奏者の価値は、より目立つ人の名前をいくつ集めたかでは測れない。調整し、協力し、異なる作品や場で働き続ける職業のあり方のほうが、考えるに値する。一行のドラムの署名は、伝説に膨らませなくてもその経験への入口になる。
異文化の音楽を説明するとき、人が様式の言葉に置き換わりがちだ。一国がリズムを、別の国が精巧さを供給し、最後には都合よく融合する。実際のクレジットは、その公式を少し使いにくくする。仕事をするのは、自動的に部品を交換する国家ではなく、具体的な人だからだ。パーカーが米国全体を代表する必要はなく、日本の作品の異国的な飾りになる必要もない。確認できる役割を持つ参加者であり、その仕事人生は一回の参加を超えている。
ドラマーを一時的に地図の中心へ置くと、シティポップの見方も変わる。アルバムが誰の名を持つかだけでなく、どんな仕事がそこで出会ったかを示せる。中心は固定せず、次にはベーシスト、編曲者、コーラスの人へ渡してもよい。パーカーは、その移動の練習をさせてくれる。国境が消えるわけでも、文化の違いを均すわけでもない。ただ人名と役割がはっきりすると、枠線だけが読むべき線には見えなくなる。