晴れた空から雨が降る。『SUNSHOWER』は、どちらか一つを選ばせない題名だ。1977年に発表された大貫妙子の二作目のソロ・アルバムで、公式資料には坂本龍一が音楽監督・編曲者として記され、曲ごとの演奏者も残されている。その小さな文字を、大きな題名の隣で読みたい。いま都市の想像力へ結びつけられる一枚は、具体的な役割を持った人々が作った。天気は一度に起こるように見えても、制作には一人ずつの仕事がある。
「都会」を小さな窓にすると、大村憲司のギター、細野晴臣のベース、クリス・パーカーのドラムという記載に行き当たる。参加者全員を名誉の行列にする必要はない。この三つの役割だけでも、録音の座標が歌手の名前だけではないことがわかる。編曲や演奏は完成した曲の周囲に足す背景ではなく、その曲をほかの可能な録音とは違う、この録音にする働きだ。協働の記録は、その点で大きな様式名より精確である。
「都会」という題名には、ガラスやネオンや静かな夜の既製品の映像が集まりやすい。しかし都市は、職業の密度が高い場所でもある。別々の仕事が、一つの制作のために交わる。風景から労働へ読み戻しても、レコードの想像力は失われない。むしろ足場ができる。大貫が創作者として中心にいることと、周囲の仕事が見えることは両立する。個人の作品と集団の制作が同時に成立するほうが、万能の天才を探すより面白い。
題名は、その共存のよい比喩にもなる。陽光を語るために雨を追い払う必要はない。現在のシティポップという分類は新しい聴き手への道案内になるが、一つの季節の飾りへ固定するものではない。曲と署名をたどれば、一枚の内部にある関係が見える。この作品が都市全体を代表すると宣言するより、都市のなかで一つのものを一緒に作る人々を見つける練習になる、と考えてみたい。